鹿児島中央では、アミュプラザや市電の電停で過ごすにとどまり、11:50発の特急「きりしま10号」で次の目的地に向かいました。
この日の宿泊先は、日南線の飫肥。列車のみで行くなら、南宮崎まで乗って日南線に乗り換えれば16時前に飫肥に着きます。が、観光するにはやや遅い感じ。日南線を完乗しようと思うと、翌朝早めに飫肥→志布志と乗る必要があり、やはり観光の時間が確保できません。そこで思いついたのが、かつての国鉄志布志線に沿うように走る鹿児島交通のバスを使うルート。都城駅前13:52発→志布志駅前15:14着というもので、志布志で過ごす時間もある程度とれる利点もありました。飫肥に着く時間は遅くなりますが、日南線を片道で完乗できるというのは大きい・・・翌日の飫肥観光も十分可能です。
2日目は、このバス移動を軸に組み立てて臨みました。「きりしま」をどこで降りるかというのは実は検討の余地があったものの、バスの起点に近い都城を選択。バスに乗ってから再認識したのですが、志布志線の区間は西都城~志布志だったので、その跡をたどるバスも西都城駅を経由するのは至極当然、つまり「きりしま」を西都城で下車する手もあったのでした。
都城駅はと言うと、予想に反して駅前、駅周りがローカル然としていて、バスが来るまでの時間を持て余す感じに。西都城の方がより都市的な印象だったので、そこで降りていればまた違った過ごし方ができたかも知れません。

都城にしても西都城にしても降り乗りは初めて。都城には13:10に着き、バスが発つまでの40分余りを悠長に過ごしました。バスの時刻や乗り場をより入念に調べていれば、バスは西都城14:00発で乗ることにして、都城13:47発→西都城13:50着の普通列車*1で先回りするということもできたでしょう。駅の乗降を増やすという観点からすれば、西都城を組み込むプランをしっかり立てるべきだったと今は思います。



さて、30年前の1990年11月21日は、鹿児島から宮崎へ「にちりん56号」で移動しました。今回の鹿児島中央→都城に当てはめると、西鹿児島16:30発→都城17:49発(→宮崎18:35着)で、所要時間としては大差がないことがわかりました。

博多~鹿児島中央が新幹線でぐっと近くなったのとは対照的に、鹿児島~都城・宮崎の所要時間は30年前と同じ。485系と787系、「にちりん」と「きりしま」という違いはあれど、そう言えばこんなスピード感覚だった...というのを何となく思い出した次第です。「変わらない良さ」を実感できた80分でした。